ヅカオタが読む淡島百景。スターと、名も無く消える者たち
ヅカをモデルにした漫画「かげきしょうじょ!」を絶賛しているレビューをみた。うんうん、かげきしょうじょ面白いよね~。私もヅカオタの端くれとして読んでた。でも、自分のオタクとしての根性のなさが原因で二年くらいで脱落してしまった。かげきしょうじょはよく出来たとても面白い作品だ。ただ、主人公がスターになるのが前提の世界観がどうにもネクラオタクの肌にあわなくて読み続けられなかった。年々、自分と美意識の違う作品を摂取するのがしんどくなってくる。これがオタクの老化か。怖い。
そんなとき、同じくヅカの付属学校をモデルとした群像劇、「淡島百景」シリーズ(現在も継続中)を読んだ。作者はかの名作百合漫画「青い花」の志村貴子。
あああ~暗い!最高!これだよ!
志村貴子の陰鬱百合。しかもモデルはヅカの音校という超特殊な女子校。面白くないわけがなかった。全編を覆う、言語化しがたく、明確な形を結ぶこともない女どうしの強い感情、つまりクソデカ百合感情もたまらないが、夢に挫折した者たちの物語の部分が良い。かげきしょうじょと比べてどっちが優れているとかではない。モデルこそ同じだが、全然違う立ち位置の漫画である。ワンピースとエヴァくらい違う。かげきしょうじょはスターへと成長する物語である。淡島百景は、スターと、名も無く消える者たちの物語だ。
淡島百景では、夢が叶う者(叶うであろう者)と同じ、あるいはより大きな比重で、夢破れた者が描かれる。夢に背を向けざるをえなかった者たちの心情、そして夢破れてからの人生と、次の世代へと繋ぐ夢(それすらも時に呪いになるのだが)が丹念に描かれていく。眩しく輝くスターだけではなく、その傍らにいる、名も無く消えていく大勢の者たちの物語だ。
ここから本物の劇団の話になるが、ヅカオタとしてこの世界観、わかる~。
ファンが音楽学校の生徒に接する機会はほぼ無いのだが、音楽学校を出て入団したばかりの生徒(劇団員のこともこう呼ぶ)たちはみんな、未来のステージの夢を明るく語る。でも実は、彼女たちの多くは数年内に去る。ヅカでは劇団付属の音楽学校から毎年春に40人前後の生徒が新たに入団する。つまり、毎年同じくらいの人数が劇団を去っていくのだ。ヅカ人生をまっとうして去る者はごく少数で、多くは入団して数年目の、役らしい役もついたことのない若者たちがふるい落とされて退団するのである。ヅカには美しい文化がいろいろとあって、退団者を「卒業」を祝う晴れ晴れしい雰囲気で送り出すというのはその最たるものだ(これは、退団=寿だった時代の名残かもしれない)。若い生徒たちも、観客へ向けた退団のご挨拶で必ずといっていいほど「幸せだった」「夢のような時間だった」とキラキラした笑顔で言う。事実あのステージに上がることさえめったに叶わないのだから、その言葉は嘘ではないのだろう。だが、数十倍という激戦の試験を勝ち抜き、中卒ないしは高校中退という一大決心で音楽学校に入り、軍隊ばりの厳しい訓練に二年間耐えてようやく入団した劇団である。ろくろく台詞も言えぬまま、若くして夢の舞台を去る心情はいかばかりだろう。
淡島百景で志村貴子は、このへんの過酷な事情を踏まえた世界観の上に、百合、母から娘へと繋がる夢(あるいは呪い)、家族の形、妥協、恥と悔恨の感情など自分の得意のテーマをうまく展開している。醜さは醜さのままに、悔恨は悔恨のままにそこにあり続け、悲しくしかし美しい。志村貴子のそんな成熟した作風の楽しめる佳作である。
ただし本作、まだ全貌を現してはいない。いまのところ群像劇だが、中心的なキャラクターがスターへと駆け昇るのが描かれる予感もあり、続きを楽しみに待ちたい。